< 日 常 編 〜 その二

日ごろ、何気なく使っている言葉にも、
語源や由来が仏教からのものがたくさんあります。
こちらでは、少しご紹介します。

其の一 其の二 其の三




● 懺 悔
   (ざ ん げ)
キリスト教の専売特許のように誤解している人も多いが、本家は仏教で、さんげと読むのが正しい。
「懺」 はサンスクリット語 「クシャマー」 の音写語。 「悔」 はその意訳で、「懺悔」 の元の意味は、
悔やむこと。
仏教では、戒律に違反したお坊さんがみんなの前でその罪を告白し、仏像の前で悔い改めることをいった。 が、次第にこの懺悔は儀式化し、本来の懺悔は仏教では行われなくなってしまっている。



● 四苦八苦
     (しくはっく)
この世に満ち溢れている苦しみを整理されたのが 「四苦八苦」 である。
「四苦」 は、ただ生きているというだけで味わう基本的な苦しみで
  ・生  苦   (しょうく:生まれる苦しみ)
  ・老  苦   (ろ う く:年老いる苦しみ)
  ・病  苦   (びょうく:病気になる苦しみ)
  ・死  苦   (し く:死ぬ苦しみ)をいう。

これに逃れることのできない精神的な苦しみの
  ・愛別離苦  (あいべつりく:愛する者と別れる苦しみ)
  ・怨憎会苦  (おんぞうえく:嫌なものと付き合わなければならない苦しみ)
  ・求不得苦  (ぐふとくく:欲しいものが手に入らない苦しみ)
  ・五蘊盛苦  (ごうんじょうく:身心がばらばらに盛んである苦しみ)

を加えて、 「八苦」 となる。
現在ではかなり簡単に使われる言葉である。




● 食 堂
   (しょくどう)
本来、仏教では 「じきどう」 と読み、僧侶が食事をする寺のお堂のことを言う。
しかし、大寺院以外では、とくに食堂を設けていないところも多かったと言われる。
ともあれ仏道修行では、日常の作法の中でも食事に関しては特にチェックが厳しく、
禅宗などではその修練が洗練を生み、のちの茶道に大きな影響を与えている。



● ずぼら 昔、修行をないがしろにし、余興にふける僧のことを、人々は 「ぼうず」 をひっくり返して
ずぼう」 と呼び、馬鹿にしたと言う。 それがやがて 「ずぼら」 に変化し、坊主に限らず、
メリハリがなく、だらしないこと、またはその人をいうようになったと言われている。



● 接 待
   (せったい)
「昨日はお得意様の接待で…」 というふうに、今は客をもてなす意味でごく普通に用いられるが、
もともとは聖地や名僧を求めて諸国をめぐる行脚僧
(あんぎゃそう)に対して、門前などで
茶や食べ物をふるまうことだった。 「門茶
(かどちゃ)」 ともいう。
 後に、寺で貧しい人々に食物を施すこともいうようになり、「摂待」 とも書く。



● 沢庵漬
   (たくあんづけ)
禅宗の一派、黄檗宗の沢庵和尚が初めてつくったのでこの名がついたといわれる。
あるいは、「貯え漬
(たくわえづけ)」 のなまったものとも…。
「沢庵漬」 に限らず、食べ物と、仏教の因縁は浅からぬものがある。というのも、
僧が中国大陸から新しい食品を日本に移入することがあり、
また、僧は自ら食事を作るのが日常の習いだったため、調理、加工などの工夫をしたからである。

  ・栄西が持ち帰った 「
  ・隠元が持参した 「隠元豆
  ・高野山の僧があみだした 「高野豆腐

など、なじみのあるものが少なくない。

 


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